昭和41年、7人兄弟の中で男兄弟3人でお墓を建てました。当時は次男だということもあり、積極的にお墓づくりに参加したいけどしませんでした。

長男と三男が亡くなり、次に自分が入るであろうお墓は納得のいく形で中に入りたいと強く思うようになりました。


はじめはちょっとした修繕を行ったのですが、次第に以前から気になっていた竿石上部にあるカケがどうしても気になり、また神道にこだわりを持っているので、神道とわかるお墓を建てたいという希望から思い切ってリフォームをすることになりました。

兄弟一族のお骨がたくさん入るよう立派で大きなカロート(納骨室)にしたい。特に4つのお骨を横に並べられるような大きさにしたいと希望しました。


カロートは、御影石製でお骨が4つ横に並ぶ3尺幅の2段式にしました。


竿石の正面文字は兄弟が書いたものなので、石碑を新しく替える事には抵抗がありました。そこで竿石はそのまま残し、カケを隠すような屏風をつけた新しいデザインの石碑にしました。竿石背面に彫られていた建て主は彫り直しています。


今のお墓の形は神道のお墓ではない為、神道とわかるように上部をときん型にし、正面に奥津城と彫ったモニュメントを建てました。

雑草対策は、植木を全て抜き、土を砕石に入れ替え、見える所は化粧砂利で仕上げています。

元々 自分の墓所と他人の墓所がわかるカベがあった方が良いと思っていました。お参りに行った際、やはりお墓には羽目がほしいと感じました。


今の外柵と同じ稲田石(茨城産)を使って羽目を造りました。


お墓の名義人さんはじめ他の親族の方々のご理解もあって、好きなようにさせてもらっているそうです。

叔父様のお墓へのこだわりは止まらずリフォームはまだまだ続きそうです。


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